ぼぶの備忘録

日常を書くだけ。飽きるまで続ける。

老人の背骨を治す方法

昨日のこと。僕が愛してやまない、徳永英明のコンサートチケットが届いた。大阪初日は9列目、2日目は11列目。なかなかの引きだ。

ここ10年くらいの徳永英明コンサートといえば、MCほぼ無し・ラスト曲が終わると同時に緞帳が下りて終演というストロングスタイルなのだが、徳永英明トークが絶妙に外れてスベりがちだということをファンは知っているので、たいしたことではない。

さて、昨年のコンサートで記憶に残っているのは、齢80は過ぎているであろうご婦人のお客さんだ。ずいぶんとおめかししていらして、とはいえご高齢ということもあり会場を行き来するだけでどこか疲れたような表情もそこには見えた。それが、コンサートが始まった瞬間に曲がっていた背骨がピンと伸び、アップテンポなロック曲にはスタンディングで振りまで完璧にこなしていたのだ。

僕は普段、エンタメ関係の仕事をしている。

衣食住にはまったく関わらない、ムダとも判断されかねない仕事だ。

けど僕は、エンタメとは生活を豊かにする重要なエッセンスだと思っている。ご婦人にとって徳永英明がそうであったように、僕の仕事も誰かにとってそうなっていると良いなと思いながら、なんだか元気をいただいた出来事だった。

 

ちなみに一昨年のコンサートで記憶に残っているのは、女性用トイレが混んでいるからという理由で男性用トイレに突撃してきたオバチャンです。“大阪”すぎる。

酒と虚栄と錯覚、寂寥

会社の飲み会にて、部下から「おしゃれなバーとかは行かないんですか?」と訊かれた。

僕が普段1人で飲みに行くのは、ビール大瓶390円とか、焼酎290円とか、要は大衆的な立ち飲み屋が多い。
僕は「赤ちょうちんが掛かっているような、いわゆる一杯飲み屋というのかな、そういうのが多いね」なんて返す。

すると彼は続けて「そうなんですね! そういう店って、何が美味しいんですか? おすすめというか」なんて尋ねてくれた。

「うーん、どうだろう…特にないかな」
「えっ、おすすめがないのに、よく行くんですか?」

彼が純粋な目でそう訊くので、どう答えてよいのか分からなくなってしまった。

僕が1人でそういう店へ行くのは、食事を楽しみたいからではない。
もちろん美味しいお酒や料理をいただきたいときもあるが、少なくとも大瓶390円のお店へ行くときはそうではない。

では何が目当てかと言えば単純で、
「さみしいよ~~~」を紛らわせることができれば、それで良いのである。

それに、おしゃれなバーへ行くと、“その他大勢”になってしまうじゃないか。
疲れた顔のおじいさま方がメイン客層であるような立ち飲み屋へ行くと、特に何もしていなくても“若さ”だけで階段の一段上にいられるような気がするじゃないか。

もちろん実際にはそんなことはないと分かっているのだけど、酒を飲んでいるときくらいはおこがましくいさせてほしいのだ。

そんなふうに思いながらも、部下くんには「それくらいのほうが普段使いしやすくていいんだよ、肩肘張らなくてさ」と答えておいた。
醜悪な上司になりたくはなかった。

その後彼は、酒を飲んで気持ちよくなったレッドキングみたいな顔のお偉方につかまり、「俺の若い頃は」トークのターゲットになっていた。僕だってお偉方だって、誰だって、気持ちよくなりたいのだ。
今は方向性が違うだけでいつか僕もあの怪獣になるのだろうなと思いながら、その嫌な思いをかき消すためにただひたすらビールを飲んだ。